青木繁「海の幸」誕生と日露戦争の時代 愛沢 伸雄

2017年3月

青木繁「海の幸」誕生と日露戦争の時代   

                                             愛沢伸雄 (NPO法人安房文化遺産フォーラム 代表) 

   日本を代表する洋画「海の幸」は1904(明治37)年夏、40日余り小谷家に滞在した青木繁により描かれた。この画家は河北倫明氏をはじめ数多くの研究者によって世に出され、「海の幸」は日本美術史に位置付けられ国重要文化財となった。

                       【石橋財団ブリジストン美術館蔵】

    ところで2005年から館山市富崎地区では、漁村のまちづくりのなかで小谷家住宅を市有形文化財とし、地元はもちろん全国からの支援により小谷家住宅修復事業に取組み、青木繁「海の幸」記念館として開館した。その経緯のなかで小谷家からは明治期の水産業など、地域の人びとの動きがわかる貴重な資料が発見された。

    これまで青木繁「海の幸」誕生について、明治期の館山・富崎の地を踏まえた地域史からの視点、あるいは日露戦争の時代のなかで小谷家に関連する人びとや漁村の文化的な交流の視点からの考察はあまり見かけない。つまり「海の幸」誕生の背景は、美術史的な視点や青木繁の関係者のみの証言で組み立てられてきた。

    この報告では発見された資料から青木繁が訪れた布良の地や小谷家に関連する人びとの姿、また「海軍望楼」などの軍事施設や「帝国水難救済会布良救難所」の設置、ときに軍事演習の地であった景勝地・布良の姿、とくに日露戦争下にあって布良沖のウラジオストク艦隊の動きによる危機的状況などを明らかにしたい。さらに富崎の人びととの交流にふれ、なぜ40日余りも小谷家に滞在し絵画制作が可能であったかを地域の視点から考察してみたい。

目 次

1.これまでに書籍に記載される「通説や証言」をみる

  (1)青木の布良訪問の背景をさぐる 

         (2)「海の幸」誕生の背景をみる

 

2.小​​谷家資料や国会図書館にある明治期の「布良」を紹介した資料

  (1)青木繁が訪れた景勝地・布良 

         (2)布良の医者

 

3.青木繁が滞在した小谷家をさぐる

  (1)小谷喜録とその家族

  (2)小谷喜録の生涯をみる  

        (3)石井家の人びと

 

4.日露戦争のなかの「布良海軍望楼」と「帝国水難救済会布良救難所」

  (1)東京湾要塞の最前線「布良」 

        (2)日露戦争勃発と要塞の地「布良」での動き

  (3)「帝国水難救済会布良救済所」と日露戦争

 

5.日露戦争時下の富崎の民衆と青木の姿

  (1)富崎・漁村の姿をみる  

        (2)漁村のまちとくらしをみる

  (3)地域と青木繁から日露戦争を考える

 

 

 

 

 

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